森内 浩幸(教授)センター長

ご専門(バックグラウンド)を教えてください
私は小児科医としてのキャリアを積んで来ました。小児科は子どもの総合診療科ですが、その中でも感染症の診療に力を入れて来ました。感染症の診療に関しては米国時代にも専門のトレーニングを受けました。
研究者としては、様々なウイルスに関する基礎・臨床・疫学研究に取り組んで来ました。基礎研究の対象は、水痘(みずぼうそう)のウイルスやエイズのウイルスでしたが、後者については米国国立アレルギー・感染症研究所所長のアントニー・ファウチ先生に師事しました。臨床・疫学研究としては、主にウイルスの母子感染について、日本国内やベトナムの研究フィールドでチームを組んで行いました。

研究者を志したきっかけを教えてください
医学生の頃、世界中で多くの子どもたちが感染症で、それもワクチンで防ぐことができる病気で命を失っていることを知り、自分に出来ることは何か探していました。子どもの頃に読んだシュバイツアーの伝記も心に残っていました。研究者を目指す同級生が「一人のフレミング(ペニシリンの発見者)の方が一千人のシュバイツアーよりも多くの命を救う」と言った時、「フレミングは一人いればいいけれど、シュバイツアーは一千人必要だ」と返したものです。しかしその後、ペニシリンが多くの命を救える薬になるためには、さらに多くの研究者の努力が必要だったこと、ペニシリン以外の多くの抗菌薬の開発を数多くの研究者が推し進めたことでさらに多くの命が救われたことを知り、フレミング(を目指す研究者)もたくさん必要なのだとわかりました。
それからエイズの研究に取り組む動機となったのは、研修医の頃に米国から輸入した血液製剤を注射していた血友病の患者さんたちの多くが、エイズのウイルスに感染してしまったことです。

職業としての研究者の魅力は何ですか?
ありきたりの言葉になりますけれど、私にとって研究の魅力とは、第一に自然の神秘・生命の不思議に向き合えること、第二に何か新しいことが見つかった時の高揚感、そして第三にそれが何かの役に立てるかもと思えた時の充実感でしょうか?現実的には個々の研究成果は「捨て石」のようなもので、眼に明らかに見えることは少ないです。でもその捨て石を一つ一つ積み重ねていくことで、大きなことに繋がるという空想力(妄想?)は持っていたいですね。

どのようなタイプの人と働きたいですか?
お互いにリスペクトし合える人、上司に対して忖度しない人、他の人に頭ごなしの対応をしない人、そして何より自分の仕事に誇りを持ってくれる人と一緒に働けるのが嬉しいですね。

好きな言葉を教えてください
「努力する限り人は迷うものだ(ゲーテ)」〜たかだか40歳くらいで「惑わない(不惑)」聖人君子になるよりも、高齢になっても惑い続け迷い続け夢中に何かに取り組んでいたいです。

最後に一言お願いします
私は当センターから歩いて5分くらいのところで生まれ育ちました。被爆二世で、原爆のために破壊された浦上天主堂のカトリック信者として、平和の大切さは心に染み透っています。またシーボルト以降の西洋医学発祥の歴史ある長崎で医学を学び、長崎が発信してきた医学医療の業績に誇りを持っています。当センターが世界中の人々の健康と平和のために貢献し、地元の方々に誇りに思ってもらえるような存在になるよう、みんなと一緒に頑張って行きます。